ある晩、ふと元カノの名前をスマホに打ち込んでしまった。
特別な理由があったわけじゃない。
なんとなく思い出しただけ。
ただ、それだけのことだった。
SNSでもなければ、ニュースでもない。
検索結果は数件の地味な情報と、見知らぬ誰かの同姓同名のアカウント。
でも、検索していたその時間、僕は“彼女”ではなく、
昔の自分を深く思い出していた。
◆怒るほどのことじゃなかった。なのに、僕は怒っていた。
検索しながら、当時のことが少しずつ蘇ってきた。
喧嘩した日のこと。
感情的になって、彼女を責めた言葉。
自分の正しさを押し通すために、どれだけ“相手の気持ち”を無視していたか。
今考えれば、あんなことで怒るなんて、幼稚だった。
「僕のことを理解してくれない」なんて言いながら、
理解しようとしていなかったのは、僕の方だった。
◆“若さ”という言い訳では済まされない、傲慢さ
恋愛をしていた当時、僕は自分に自信がなかった。
だからこそ、彼女の小さな言動ひとつで揺れて、
勝手に傷ついて、勝手にムキになっていた。
彼女を責めていたんじゃない。
たぶん、自分の不安をぶつける場所が、そこしかなかったんだと思う。
いまなら分かる。
“自分を守るための攻撃”ほど、恋を壊すものはない。
◆検索してよかった。彼女に会えなくても、気づけたことがあった。
その夜、検索した彼女には結局たどり着けなかった。
でも、僕は大事なものに出会えた。
それは、“若い頃の自分をちゃんと反省できる心”だった。
過去に戻ることはできないけれど、
思い出の中の自分と向き合うことで、
いまの自分を少しだけやさしくできた気がした。
そして、
「彼女には申し訳ないことをしたな」と、ようやく素直に思えた。
◆今夜の結論:「検索」は、過去を掘り起こすことじゃない。
検索したその夜、
僕が見つけたのは“昔の彼女”ではなく――
“未熟だった自分”との向き合い方だった。
恋愛の答え合わせをするためじゃなくて、
いまの自分に整理をつけるために、
人はときどき“名前”を検索するのかもしれない。
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