実家の裏にある畑は、父がもう三年ほど手をつけていません。以前は毎朝誰よりも早く出て、きれいに畝を整えていた人なのですが、腰を悪くしたのをきっかけに、ぱたりと足が向かなくなってしまいました。気づけば畑一面は丈の高い草に覆われ、どこが畝だったのかもわからないほどになっていました。
今年の春、私は「よし、今年こそあの畑を立て直そう」と決めました。父の代わりに、というよりは、あの土地をこのまま荒れさせておくのが忍びなかった、というのが正直な気持ちです。子どもの頃、学校帰りに父の畑に寄って、きゅうりをもいで丸ごとかじっていたことを、ふと思い出したりもして。あの景色を少しでも取り戻したいという、半分は懐かしさからの決意でした。
草を刈ること自体は、さほど大変ではありませんでした。休みの日に少しずつ、肩掛けの草刈り機で丈の高い草を倒していく。汗はかきますが、気持ちのいい疲れです。問題はその先でした。刈った草をそのままにしておくわけにはいかず、土に漉き込んでやらないと、畑として使える状態に戻りません。それには、やはりトラクターが要るのです。
そこで納屋にしまってあったトラクターのエンジンをかけようとしたのが先週のことです。ところが、キュルキュルと空しい音を立てるだけで、まったく動いてくれません。近所の農機具屋さんに来てもらって見てもらったところ、バッテリーだけの話ではなく、あちこちがかなりくたびれているとのこと。修理するか、思い切って買い替えるか、今まさに頭を抱えているところです。正直、金額を聞いて一瞬目の前が暗くなりました。
こういうとき、自分の不甲斐なさを感じずにはいられません。草を刈るところまでは勢いでやれたのに、その先の、肝心な一歩で止まってしまう。父が元気だった頃は、こうした判断も当たり前のようにこなしていたのだろうと思うと、情けないような、申し訳ないような気持ちになります。と同時に、父もこうして一つひとつの判断に悩み、体の衰えと向き合いながら、長年あの畑を守ってきたのだろうと、今になって初めて実感しています。
刈った草の山を畑の隅に積んだまま、トラクターが直るのを待とうか。それとも、どこかで一台借りてでも、今のうちに漉き込んでしまおうか。結論は出ていませんが、不思議と焦りはありません。父の畑を、こんな形で改めて受け継ごうとしている自分がいることに、少し驚きながらも、どこか嬉しいような気持ちもあるのです。動かないトラクターを前に、しばらくはこの悩みと付き合っていくことになりそうです。

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